はつねの日記

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昔ながらのラーメンは思い出の起爆剤

東京でラーメンといえば、昔は今でいうシナそば一択でした。

いつの間にかトンコツラーメンに駆逐されて、昔ながらのラーメンはそれこそインスタントラーメンにしか存在しないんじゃ?と思えるくらいです。

今日、そんな懐かしい味に出会えました。

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食べ進めていくうちに「そういえば初めて家族で外食したときに食べたのって、こんな味のラーメンじゃなかったかな。」とふと思い出してしまい、そこからあとは記憶の湯気に包まれたかのように色々なことを思い出してしまいました。

子供時代を過ごした町は、都内ではあるけれど決して栄えた町ではなく駅の近くに商店街と呼ぶには小ぢんまりとした細い道の両側に店があるような、そんな町でした。

その商店街に今から思えば決して高級ではないレストランがあり、何かハレの日にはそこで食事をするのが、まあ、町では普通のことだったと思います。

はじめてそのレストランにいったのはどんなハレの日だったのかもう記憶の中にすらないのですが、きっと両親はお子様ランチやビフテキみたいなものをオーダーすると思っていたんだと思うだけれど、私はそこでラーメンを注文したんだ。

たぶん、私が主役のハレの日だったんじゃないかな。両親も合わせるようにラーメンを注文して3人でラーメンを食べた。そんな想い出。でも、今思い返してみると、十数年後に父親の給与額をしって逆算してみると、それほど裕福じゃなかったはずなので、合わせたというより、最初から自分たちはラーメン食べるつもりだったじゃないかとも思えてきます。

今、その町には両親も暮らしていないので里帰り先でもなく、でも10年くらい前に一度たちよったときには、なんだか町がとっても小さくこじんまりしていて、すごく大きくて立派なイメージだったそのレストランも全然そんなことなくって、似ているけれど別世界な感じがしたことも。。。。昔っからいろいろなことを連想記憶方式で覚える癖がついていたからかもだけれど、一杯のシナそばから芋ずる式に子供のころのことを思い出してしまいまいた。

自分も年を重ね、その当時の両親の年齢も越えた今、その当時を振り返ってみれば、想いはその当時の両親と同じくらいきちんと生きてきたかという自問自答ばかりです。でも、社交的でそれこそクラスタを作る側で、早出残業もいとわず働いてハレの日に町のレストランに連れて行ってくれていた両親にはやっぱりどうあがいても太刀打ちできない気がします。

 

実家を離れて一人暮らしを始めて同じ都内ということもあって年末年始やGW、お盆で帰ったとしても日帰りでとかになると、そんな両親との食事の回数もぐっと減ってしまうし、家族で連れ立って食事に行くなんて事もまったくなくなってしまうのですが、今年の晩夏にしばらくぶりで父親と一緒に外食したのは、母親が脳溢血で緊急入院した病院の向かいのラーメン屋さんでした。

幸いにも発見が早く、右手と右足にまひが残る程度で、当初、あった顔の麻痺はまったく解消しおかげさまで会話に不自由することはなくなったのですが、外出好きで旅行好きが自宅警備員に転職しちゃう事になってしまったのです。それというのも実家の立地はちょっと特殊で、本来であれば通れるはずの実家への路地が途中の向かい合わせの家の仲が悪くお互いに塀を作ってしまい、結果、車いすが通れるようなスペースが存在しないという不思議空間になってしまっているのです。そのため、裏手の坂を上がって別ルートでということになるのですが、車いすで上るにはかなりの急坂で年老いた父親には結構つらい作業なのです。

そのため、なるべく週末は実家に帰り車いすで外に連れ出してあげたり、結果、平日よるも週末のほうが時間が取れないなんて生活になってしまいましたが、両親との食事の回数はぐっと急上昇という副次的な効果もありましたし、まだまだ自力では平地限定ですがそれなりに歩けるようには徐々に快方に向かっています。

自分の年齢からすれば、そう遠くない未来に向こうに旅立っていくのは容易に想像がつきますし、1年で○回食事ができるとして○年だからあと食べられても○回しかない、同居していたらものの数か月分にも満たないかもなどと負の想像をしてしまうときもありますが、少しでも多く、一緒に食事をする機会を作っていきたいと思います。また、おいしいラーメン、みんなでたべようね。父さん、母さん。