はつねの日記

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コワーキングの終焉

結果的に長文に…。

 

始まりとは終わりの始まりである。終わりがどうなるかは始まるときにデザインし、終わりの条件を明確化することは終わらないための指針にもなりえます。

レンタルオフィスとの違いが不明瞭であったり、ノマドと混同されたり、社外コミュニティと混同されたりしがちなコワーキングは、まだ始まってもいないのかもしれませんが終焉を考えてみたいと思います。

 

では、コワーキングの終焉とはいかなるものでしょうか。

コワーキングが何かといえば(少なくとも現時点では)、同じ時間に同じ場所に偶然にも集まった人たちが周囲のたわいない会話の中から新しい発見と自分のバリューの提示ができる可能性を秘めた場所だと思っています。

もちろん、コワーキングスペースで実施されている集まりに偶然居合わせたらそこに参加するのでも、参加せずに自分の作業をするのでも良いという自由度も大切です。

そのような状況を維持し続けるためには、コワーキングスペースに行ったときに変化のある多様性と変化のない多様性が同居している必要があると思います。つまり、「新しい何かに出会える可能性がある」と「いつもと変わらに自分にとっての居心地のいい空間がある」という2つの事の同居ともいえるでしょう。

 

頻繁に利用してくれている、会員になって活用している、そういった人はコワーキング経営側からすれば場の雰囲気をつくりだす面でもキャッシュフロー的にもロイヤルユーザーであると言えるでしょう。

しかし、それがスペースに対してある程度に人数が固定的にいるようになると、それは固定された多様性(変化のない多様性)になり、その固定化されたバリューに共感できる人の利用率が高くなり、その場の色が必要以上に固定化されてしまうのではないかと思うのです。

この状態がコワーキングにおける具体的な終焉の始まりとなるのではないでしょうか。つまり、そこにはコワーキングが本来もっている流動性がなくなり、それは、敷居や区切りのないレンタルオフィス、大学などのサークル活動の部室、いつも知り合いと集まる近所のマックや居酒屋のように。

もしかしら経営的にはこの状態は安定状態であるのかもしれません。しかし、この状態はコワーキングオーナーさんにとって良しとする状態であるかが重要であると思うのです。しかしながらその状態は成長曲線のピークがおわり緩やかに衰退していく期間の始まりであると思うのです。

 

では、コワーキングに益をもたらすロイヤルユーザーとはどんなユーザーさんなのでしょうか。

例えば、押しは強くないけれど、聞かれれば答える、コミュ障じゃないけど敢えていろんなことに当事者意識なく首だけつっこむことがないような人だったらどうでしょうか。このような利用者が同時に空間をシェアしていても単一の色に染まらないだろうし、染まったとしても話題がうつれば霧散して色が分からなくなるような空間が自然に演出できるのではないでしょうか。

 

そのような成長を遂げるためにはどうしたらいいのでしょうか。ここで一つのblogエントリをご紹介したいと思います。

http://blogos.com/article/37601/

「都市は成長を続け、企業は必ず死を迎える」という内容です。

都市が成長し続けられるのは「崩壊が近づくと、イノベーションが起きて、リスタートされることがくり返される。ただ、維持し続けるためには、イノベーションはどんどん加速しなければならない」とあります。

私はさらにイノベーションがあっても「成長とは何か」という点がぶれないからだと思うのです。

企業でもイノベーションにより成長をつづけていくことはありますが都市ほどに一般的ではないのは、企業が成長するにつれて最初のコンセプトを成長のために容易に変えやすくそれが失敗の変化の場合が多く迷走してしまうからだと思うのです。

 

では、コワーキングは都市でしょうか企業でしょうか。

コワーキングは都市のような成長がとれるのではないかと思うのです。

なぜならば、コワーキングを利用するという視点からすれば自分のライフスタイルにより合うコワーキングと合わないコワーキングがあると思います。そしてライフスタイルが変われば合うコワーキングも変わるし、新しく合うコワーキングはきっと存在すると思うのです。

そのためには、コワーキングスペース自体が多様であり、場所や時間、オーナーがやりたい事でゾーンニングされた中で、利用者が流動的にコワーキングを回遊するできれば、コワーキング全体として変化のある多様性と変化のない多様性を提供できるようになるのではないでしょうか。

そのためには、それこそ1駅1コワーキングとは言わず、もっといろいろあってもいいと思うのです。ただし、現状は特定の駅にコワーキングスペースが固まりつつあるように思え、そうするとコワーキング全体としても偏重が生じてしまい多様性にほころびが生じてしまうのではないかと危惧しております。

 

コワーキングスペースはまさにいま雨後の筍のように生まれ始めてます。

だからこそ、ある面においては例えば単一ファーストフードのチェーン展開のように戦略的である必要があるでしょうし、同時に「こんなコワーキングないからつくろう」という天邪鬼的なスタートをきるコワーキングオーナーさんが増えてくれたらと思うのです。

 

もしかしたら、コワーキング何かっていったらどんな意見でも「たいていあってる」し「でもそれだけじゃないよ」というとらえどころがない状況を続けられるようにしていることが終焉とは別の位置にいられる状況なのではないでしょうか。

でも、それってオーナーさんにとっては常連さん20%、流動性の高い利用者80%(しかも利用時間もまちまちだったり)的な非常にそろばんのはじきづらい状況をつづけないとという事かも知れず、大変だなーと。